■砂短白書~代償とその先⑤最終話~

■砂短白書~代償とその先⑤最終話~

前回までの記事

■砂短白書~代償とその先①~

2019年8月20日

■砂短白書~代償とその先②~

2019年8月26日

■砂短白書~代償とその先③~

2019年9月1日

■砂短白書~代償とその先④~

2019年9月4日

「年間回収率100%」から「新しい何か」へ

再び、元気になった淀ちゃんからは

「ウェブサイトのお手伝いを通して競馬やユーザー様に元気を貰った」
「今度はウェブサイトを通して他の方を応援してみたい」
「地方競馬を活性化する活動をしてみたい」

代償の痛みは伴ったものの、改めて

「馬券(ギャンブル)の本質を理解する」
「予想を公開する意味を考える」

良いきっかけになったと思っています。

安易な予想で小銭集めを模索する競馬予想の世界。

「本物」

新聞社のトラックマンが、仮に足を使って得た情報であったとしても
競馬予想に於いては

「偽物」ではない

「本物では無い何か」

どんな理屈理論を述べても絶対にハズれる予想に「本物」はありません。
しかし、何の実績も無い、ましてや根底の理論やファクターが曖昧、的中馬券を偽るなど

「偽物」

は確実に存在します。
馬券と向き合い、競馬を楽しめるようになるには「偽物」に触れ、「 本物では無い何か」と、自身の判断で選別する必要があります。

「恋は盲目」「痘痕(あばた)もえくぼ」

「偽物」の偶然の的中を信じ込み、大金を投じるパターンがあるかも知れません。
予想を提供する側だけでなく、利用する側も痛みを伴う必要があるのかも知れません。

「人の予想に乗って万馬券も結構」
「有料予想を買って全くのお門違いも結構」
「自分の予想でひと勝負も結構」

痛みを伴わない結果は偶像。
馬券(ギャンブル)に良い事ばかりは続きません。

人生に於いても、冷や汗のひとつや二つは誰でも経験し、学んだことは多いはず。
馬券(ギャンブル)に於いても同じ。経験しないと見えないことはたくさんあります。

”代償 “

何かを得るには何かを捨てなければならない。
それは「有料サイトに支払うお金」でも、「馬券に投じる大金」でもなく

「事実と向き合った時間」

支払ったその先に得るものがあると私は思います。

本当に楽しいと思えるのはここからです。
馬券を一切買わなくなった「淀ちゃん」。私が出した予想でユーザー様と日々一喜一憂。

別掲を外した暁には不機嫌なLINE。

「淀ちゃん」が代償を支払った先に選んだのは馬券(ギャンブル)では無く
競馬を通しての「エッセイ」や「音楽」。

「淀ちゃん」 今が本当に楽しそうです。

- 砂短白書~代償とその先~ 完 -

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